箱根の地名の由来は箱形の山?関東と東海の中間にある不便な所?
土地の名にはそれぞれ由来があり、その名から土地の様子や、土地を領地していた権力者の名などを知ることができる。では、箱根にはどのような由来があるのだろう。
『万葉集』には、「波故祢(はこね)」という万葉仮名で2首、「筥根(はこね)」で1首歌われている。また、奈良時代の天平宝字元年(757)に創建された箱根神社の縁起書には、駒ヶ岳に登った高僧が、周囲の山並みを見て、「梵篋(仏具を入れる箱)に似ている」と言い、筥根山と名付けたと書かれている。
平安時代の歴史書である『日本紀略』には、延暦21年(802)に起きた富士山の噴火で当時の主要道であった足柄峠を越える道が通れなくなったため、僧荷路を開く」という記述もあり、これらを見てもかなり古い地名であることがわかる。
いずれにしてもハコネという呼称は古代朝鮮語が語源といわれる。ではどのような意味をもつのだろう。
筥とは箱のことであり、根とは嶺のことと考えると、「箱形の山」という意味になる。また、「中間に存在する不便な所」という意味をもつハコ(神仙)ネ(峰)が語源であり、「東海と関東の中間に位置する不便な所」という説もある。
歴史
一夜湯治で江戸庶民に知られ福沢諭吉が国際観光地への道を拓く箱根は奈良時代の天平10年(738)に開湯した古湯。江戸時代には、芦之湯、湯本、堂ヶ島、宮ノ下、木賀、底倉、塔之沢の箱根天保11年に編纂された儲国温泉効能鑑』という温泉番付では、芦之湯の東前頭二枚目を筆頭に七湯すべてが名を連ねる温泉地であった。これが一夜湯治と呼ばれるものでようになる。箱根にのみ許された特権だった。
一夜湯治が許されるようになると、文人墨客や浮世絵師なども訪れるようになり、安藤広重や鳥居清長などが描いた浮世絵によって、箱根七湯が開かれ、の魅力が広く知られるようになる。
しかし、江戸時代の箱根は、病気療養を目的 明治になると箱根は国際観光地としての歩みとする湯治のみが認められ、7日間を一廻りと を始める。その立役者となったのが、しばしばする三廻り湯治21日間)が一般的であった。 箱根を訪れていた福沢諭吉だ。諭吉は、湯本や文政年間(1818~ 1829)になると、江戸庶塔之沢の宿主に道路と鉄道の整備を提案、実業民の間で大山参りや伊勢参り、富士講などが盛家の山口仙之助に国際観光の重要性を説いてホんになり、数十人が連れ立って旅をする、今で テル開業を薦めた。この進言を受けて建てられいうグループ旅行が増えてくる。やがてこれら たのが明治11年(1878)に日本初のリゾートホの講集団は、一夜であっても目的は湯治である テルとして産声をあげた富士屋ホテルで、これという大義名分のもとに箱根の温泉宿に泊まるが国際温泉リゾート箱根の始まりである。
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